2006年11月14日

宗教の勧誘について

 自分で楽しめ。
 最近、宗教への勧誘が多い。
高校生のときに聖○新聞の勧誘ともめた時から、
宗教と僕の戦いは続く。

 うさん臭いと思ったものは信じない。
というか、自分以外はほとんど信用していないのだが。
「前世は〜」「あなたの家の玄関には〜」「悩み事がありますね」
「あなたは〜な人です」などの言葉には非常に敏感である。
100人に「あなたは〜です」と言う。半分くらいの人は
「当たってる」とか思う。それが口コミになれば、
後はネズミが増えるのと同じです。
占いでも同じです。「よく当たる」と聞いてから行くのと
「当たったことがない」と聞いてから行くのでは心理的に
全く違います。

A「△△に住んでるんやんなあ」
B「うん」
A「おいしいパン屋さんあったよね」
B「あ〜○○ね」
A「あそこのパンおいしいよね〜」
B「うん、おいしいよね〜」
A「値段もいい感じやしさ」
B「うんうん、そんなに高くないもんね」
BはAがパン屋を知ってると思っているが、
Aは全く知らない。
こんな感じで話をする訳である。

 宗教を信じることは悪いことではない。
人間誰しもそんな要素はある。
ファンなんて、ある意味、その人の宗教みたいなものだ。
CDやDVDを買うか、本やツボを買うかの差だ。
しかし、宗教を信じる人はこっそりとやっていて欲しい。
関西の深夜の高視聴率番組でなじみの岡○真○さんは
自分だけで楽しんでいる。決して誘ったりしないし、
誘って来なかった人を非難したりもしない。
こういう人こそ、「信じるものは救われる」のだ。

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posted by たっく at 01:56| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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